生きる意味を知る②

私の両親は長生きした。
父は87歳で3年前に亡くなったが、母は今84歳で生きている。

長い間知人にも親族にも亡くなる人がいなかったので、私は親しい間柄の人が亡くなるという経験に乏しく死別する悲しさを知らなかった。

父が亡くなり突然私の前からいなくなってしまった。
頭ではわかっているが、今まで一緒に生活していた人間がいなくなった状況を未だに受け入れられない自分がいる。

母がもう父の身の回りの世話をすることができない要介護の体だったため、高齢の父の世話は全て私がしていた。
背中に手が届かないのでシャツを下ろしてやったり、薬を塗ってやったりした。髪が延びたら家庭用の電動バリカンやハサミを使って定期的に切ってやっていた。
そのせいで、私は父の体格だけでなく体のどこにホクロがあるとか、どんな髪の生え方だとか、耳の形も頭の禿げ具合も詳細に記憶してしまった。
その父の肉体が火葬されて骨になったのがショックというか信じられないのだ。
あの父が消えてしまった。
父はどこに行ってしまったのだろうか。
父の声も仕草もまだしっかり私の脳裏に焼き付いているのに。
二度と父に会えないことが不思議に思える。

そして私もいつかは死ぬんだと思うと
死とは何だろう、死んだ後どうなるんだろうと思う。
いや、その前に先ず母が亡くなるだろうから、母も私の前から消えてしまう日がやってくる。

人の死がどんどん身近になった。
自分の死さえも、すぐそこにあるように感じてしまう。

そして以前まで感じていた死に対する恐怖が、得体の知れないものへの不安だったことに気づいた。

自分の寿命があと何年あるのかはわからないし、できるだけ長生きして孫の成長を見たいとは思うけれど、もしも明日事故に遭って死ぬかもしれなくてもそれはそれでいいと思うようになった。

生きているから生きる。
やり残したこともなければ生き甲斐もない。
私が死んだら、後は娘夫婦がきちんとやってくれるだろう。
娘がまだ幼かったら死ぬわけにはいかないけれど、幸いもう結婚して子どもも授かり家庭を持っている。

私は母の介護をしているが、娘には私の介護をさせたくない。
できるだけ娘に迷惑をかけることがないように死にたいと思う。

生きる意味を知る①

ふとしたきっかけで仏教の話をネットで読んだ。
それによると、生きる意味というのは死を怖れないようになることらしい。

人は誰でもいつかは死ぬ。そして死を怖れない人はいない。
死を前にすると、人は皆自分の人生を振り返り虚しさや後悔の念に苛まれるという。
どんなに富や名誉を得ても 偉大な研究を成し遂げても 立派な経歴を築き上げても、死が間近に迫ると全てが虚しく感じるらしい。
死を怖れずに亡くなるには仏教の真髄を知ることだそうだ。

私は若い頃信心がなくて自分ほど不幸な人間はいないと思っていた。やがて不幸の原因は信心が足りなかったからだと思うようになった。
というのは、友人知人の中でお盆にお墓参りに行っていないのは自分だけだと知ったからだった。
親が行かなくていいよと言うので行ったことがなかっただけなのだが、それを友人や知人に言うと驚かれた。
その時に自分のこれまでの不幸はご先祖様のお墓参りを怠ったせいだと思ったのである。
そう思ったので、自分の娘にはお墓参りをさせようと考えて幼い頃から毎年お盆には一緒にお墓参りに行くようにした。
そのおかげで娘は私とは全然違って幸せな人生を歩んできたと思う。

私は試験という試験に全て落ちた。高校受験も大学受験も失敗して志望した学校には行けず劣等感を募らせていった。
就職活動には消極的だったので、父が勧めた臨時職員になりアルバイト感覚で働いていた。その時も正社員と机を並べて同じような仕事をしながら待遇の格差にまたもや劣等感の塊になった。
全て自分の努力が足りなかっただけなのだが、どうして自分だけがうまくいかないのだろうと思った。
そして自分自身のことが大嫌いになっていった。
どうせ自分は不幸な人間なんだと投げやりになり、その後人に勧められた見合い話で簡単に結婚してしまった。
そして離婚。
性格や価値観の不一致や経済観念の違いなどいろいろな理由があったが、離婚の一番の理由は初めて相手のお墓参りに行った時に『このお墓は私が入るお墓ではない』と直感してしまったからだった。
なぜそう思ったのかはわからないが、とにかくそう感じてしまったから仕方がない。
そして僅か2年半ほどで離婚してしまった。

娘は試験という試験に全て合格して希望した仕事に就き、好きになった人と結婚して幸せな人生を歩んでいる。
娘を見ていて、好きな人と結婚して幸せになるということがどんなに素敵なことかと思う。本当の夫婦とは、家族とはこんな感じなんだなぁと思って見ている。
娘が幸せになって私も幸せだ。
娘を産んだことが私の人生の最大の幸せだと思う。

そして私の今世の目的は、娘と出逢うことだったのだと思っていた。父が亡くなるまでは。

生きる意味とは

生まれてきた意味や生きる意味を考え悩む人は多いと思います。

私は今58歳になる女性ですが、最近自分の人生の意味を何となく納得した感じがしています。

私は、要介護の母と二人で暮らしています。
仕事はしていません。
今の状況になるまでにいろんなことがありましたが、振り返ってみると全てがここにたどり着くようにできていたと思います。

私は母が大好きでした。姉妹の誰よりも母に気に入られたくて、いつも母に褒めてもらいたくて一生懸命でした。

そして母も私を一番信頼してくれて、一番かわいがってくれました。
私は母無しでは何も決められない何も考えられない人間になっていきました。
それが「共依存」という親子関係だったと知り、今までの私の人生は何だったのかと母を恨むようになった時期もありました。

でも今は心から母に感謝しています。

人見知りで他人を受け入れることが苦手な母。絶対に施設には入りたくないと言っていた母を、それでも施設に入れようと申込みしたこともあります。
私が精神的に参ってしまった時期でした。
最終的には入ってもいいよと言ってくれた母のあの時の心情を思うと申し訳ない気持ちになります。
結果的には施設には入ることにはなりませんでした。
父が急に亡くなり、状況が一変したからです。

母は強運の持ち主で、強力な守護霊がついているような気がします。

今は感謝しながら母の介護をしています。少しでも長生きしてほしいと思っています。



私は三姉妹の末っ子として生まれ、二人の姉に続いて平凡な結婚をして家を出ましたが
娘を出産した後、このまま続いていく母としての生活や妻としての生活そして長男の嫁としての生活に『自分の人生はこれでいいのだろうか?』と疑問がわき
娘を連れて離婚して実家に戻りました。

そして私の両親のもとで娘を育てながら仕事をして生きてきました。

両親にとって私の出戻りは願ったり叶ったりで、現役で働き続ける父と専業主婦の母に甘えながら私と娘は何不自由なく暮らしました。

そして娘は23歳で結婚して家を出ていきました。
幸いなことに娘夫婦は同じ市内に新居を建て、いつでも気軽にうちへ来てくれる状況になりました。

その後私は高齢になった両親の世話をしながら仕事を続けていましたが、母が要介護となり父は耄碌して二人の食事や身の回りの世話に疲労困憊しました。飼っていた愛犬も高齢犬になり、持病の看病と介護が必要になりました。加えて娘が出産したのでいろいろと手助けしてやらなくてはならなくなり、今から思うと本当に信じられないぐらいいっぱいいっぱいの状態で私は毎日を過ごしていました。

そんな時、娘の家へ行った帰り道で追突事故に遭いました。幸い怪我は大したことがなかったのですが車はグシャグシャになりました。
私に非はなかったのですが、それが証明されるまでに大変な思いをし精神的にも身体的にも遂に限界になり仕事を辞めました。

離婚が私の第一のターニングポイントだとすれば、あの事故が第二のターニングポイントだったと思います。

そして私は無職になり、父の年金で父と母と私の三人で生活することになりました。
私が無職になったので、父も母も何でも私を頼るようになりました。
前にも増して私のするべき雑用が増えていき、私は両親の下僕のように過ごしていました。
その頃が一番辛かったです。
でもそんな辛い日々は父の死によってあっけなく終わりました。

父は高齢でしたが、胃癌が発覚して僅か三ヶ月で亡くなりました。

父の死が私の第三のターニングポイントになりました。

そしてそれ以降、亡き父のことを考えたり母の介護をしながら私は自分の人生や生きる意味について考えるようになりました。

今まで生きてきた人生を思い出し、振り返ってみるたびに
私は両親の愛情によって育てられ、そしてその両親を看取ることが今世の生きる意味であり課題だったのではないかと思うのです。

大海に投げ出されもがき苦しみながら必死に頑張っていた時期を経て、今は海に身を任せて波に揺られるままに漂っているような感じがしています。
もうもがきながら前進しようと努めた時間は終わったのです。

今はただ、母にできるだけのお世話をして、一日一日に感謝しながら生きています。
自分の人生に後悔も何もありません。
悟ったと言える感じでもないけれど、母を最後まで大切に介護して看取ることができたら、私は自分の人生に満足です。

父にはあまり優しくしてあげられなかったことが悔やまれて、亡くなってもう三年以上も経つ今でも父のことを思わない日はありません。

でも父が最後に言っていた「婆ちゃん(母のこと)を頼む。」という言葉をしっかり叶えていきます。