生きる意味とは

生まれてきた意味や生きる意味を考え悩む人は多いと思います。

私は今58歳になる女性ですが、最近自分の人生の意味を何となく納得した感じがしています。

私は、要介護の母と二人で暮らしています。
仕事はしていません。
今の状況になるまでにいろんなことがありましたが、振り返ってみると全てがここにたどり着くようにできていたと思います。

私は母が大好きでした。姉妹の誰よりも母に気に入られたくて、いつも母に褒めてもらいたくて一生懸命でした。

そして母も私を一番信頼してくれて、一番かわいがってくれました。
私は母無しでは何も決められない何も考えられない人間になっていきました。
それが「共依存」という親子関係だったと知り、今までの私の人生は何だったのかと母を恨むようになった時期もありました。

でも今は心から母に感謝しています。

人見知りで他人を受け入れることが苦手な母。絶対に施設には入りたくないと言っていた母を、それでも施設に入れようと申込みしたこともあります。
私が精神的に参ってしまった時期でした。
最終的には入ってもいいよと言ってくれた母のあの時の心情を思うと申し訳ない気持ちになります。
結果的には施設には入ることにはなりませんでした。
父が急に亡くなり、状況が一変したからです。

母は強運の持ち主で、強力な守護霊がついているような気がします。

今は感謝しながら母の介護をしています。少しでも長生きしてほしいと思っています。



私は三姉妹の末っ子として生まれ、二人の姉に続いて平凡な結婚をして家を出ましたが
娘を出産した後、このまま続いていく母としての生活や妻としての生活そして長男の嫁としての生活に『自分の人生はこれでいいのだろうか?』と疑問がわき
娘を連れて離婚して実家に戻りました。

そして私の両親のもとで娘を育てながら仕事をして生きてきました。

両親にとって私の出戻りは願ったり叶ったりで、現役で働き続ける父と専業主婦の母に甘えながら私と娘は何不自由なく暮らしました。

そして娘は23歳で結婚して家を出ていきました。
幸いなことに娘夫婦は同じ市内に新居を建て、いつでも気軽にうちへ来てくれる状況になりました。

その後私は高齢になった両親の世話をしながら仕事を続けていましたが、母が要介護となり父は耄碌して二人の食事や身の回りの世話に疲労困憊しました。飼っていた愛犬も高齢犬になり、持病の看病と介護が必要になりました。加えて娘が出産したのでいろいろと手助けしてやらなくてはならなくなり、今から思うと本当に信じられないぐらいいっぱいいっぱいの状態で私は毎日を過ごしていました。

そんな時、娘の家へ行った帰り道で追突事故に遭いました。幸い怪我は大したことがなかったのですが車はグシャグシャになりました。
私に非はなかったのですが、それが証明されるまでに大変な思いをし精神的にも身体的にも遂に限界になり仕事を辞めました。

離婚が私の第一のターニングポイントだとすれば、あの事故が第二のターニングポイントだったと思います。

そして私は無職になり、父の年金で父と母と私の三人で生活することになりました。
私が無職になったので、父も母も何でも私を頼るようになりました。
前にも増して私のするべき雑用が増えていき、私は両親の下僕のように過ごしていました。
その頃が一番辛かったです。
でもそんな辛い日々は父の死によってあっけなく終わりました。

父は高齢でしたが、胃癌が発覚して僅か三ヶ月で亡くなりました。

父の死が私の第三のターニングポイントになりました。

そしてそれ以降、亡き父のことを考えたり母の介護をしながら私は自分の人生や生きる意味について考えるようになりました。

今まで生きてきた人生を思い出し、振り返ってみるたびに
私は両親の愛情によって育てられ、そしてその両親を看取ることが今世の生きる意味であり課題だったのではないかと思うのです。

大海に投げ出されもがき苦しみながら必死に頑張っていた時期を経て、今は海に身を任せて波に揺られるままに漂っているような感じがしています。
もうもがきながら前進しようと努めた時間は終わったのです。

今はただ、母にできるだけのお世話をして、一日一日に感謝しながら生きています。
自分の人生に後悔も何もありません。
悟ったと言える感じでもないけれど、母を最後まで大切に介護して看取ることができたら、私は自分の人生に満足です。

父にはあまり優しくしてあげられなかったことが悔やまれて、亡くなってもう三年以上も経つ今でも父のことを思わない日はありません。

でも父が最後に言っていた「婆ちゃん(母のこと)を頼む。」という言葉をしっかり叶えていきます。